
グーグル・マップで見つけたマニアックなところをセローで76kmの散歩
本命ポイントの前後に江戸時代の薩摩藩による「宝暦治水工事」関連を見て回る
その後は海津市の“激シブ食堂”でお昼ごはんを食し、安八ICから帰路につく
平田公園(平田靱負翁の像)
南濃大橋で長良川を渡り大榑川堤沿いに西へ向かう
平田公園で「平田靱負翁の像」のみ撮る
宝暦治水工事で尽力した「平田靱負」については後述する
海津市平田町の地名は「平田靱負」から命名
乙姫公園
大榑川堤沿いに西へ進む
乙姫公園到着、こんな看板がある
乙姫公園は岐阜県安八郡輪之内町海松新田に位置する小さな公園で、地域に伝わる浦島太郎伝説にちなんだ観光スポットとして知られている
海のない岐阜県にありながら水害の歴史や川にまつわる文化を背景に、この地ならではのユニークな物語が息づいている
公園の最大の特徴は高さ約10.2メートルの巨大な乙姫像と、それを見つめるように立つ浦島太郎像
これらのコンクリート像は訪れる者に強い印象を与え、地元ではちょっとした名所
乙姫公園は輪之内町の輪中地帯にあり、長良川支流の大榑川の堤防近くに位置
アクセスは車が便利で名神高速道路の岐阜羽島ICから約15分、大垣ICから約12分、安八スマートインターから約13分で到着
公共交通機関でのアクセスは限られており、駐車スペースは約5台分と小規模
周辺は田園風景が広がり、静かな環境の中でひっそりと佇む公園
乙姫公園は隣接する稲荷神社の敷地内に整備されている
この地域には「大榑川の竜宮伝説」が伝わっており、それが公園のテーマとなっている
伝説によると、かつて投網をしていた漁師が網を川に投じたところ何かに引っかかり、そのまま水中に引きずり込まれまた
そこで絢爛豪華な御殿と美しい女性(乙姫)に会い、無事に陸に戻れたという話
その女性が画伯・玄山が描いた乙姫に似ていたことから、この物語が広まった
また由緒書きによると、この付近の川は水深が深く、水難事故や投身自殺が多発した歴史がある
そのため住民は「川の住人を怒らせてはいけない」と漁業を禁じ、以来事故が減り地域が繁栄したとされている
昭和4年、不思議な出来事が続いたことから住民が歴史を調べた結果、鎌倉時代にここに稲荷大明神があったことが判明
伏見稲荷大明神の許可を得て神社が復興され、乙姫公園として整備さた
桜の季節(3月下旬から4月上旬)には公園周辺に桜が咲き誇り、乙姫像とのコントラストが美しい写真スポットとなる
場所は▼ここ
大巻薩摩工事役館跡
牧田川堤防を走る
今日は快適堤防道路をメインに走った
大巻薩摩工事役館跡到着
大巻薩摩工事役館跡(おおまきさつまこうじやっかんあと)は、岐阜県養老町に位置する歴史的な遺跡
この場所は江戸時代に薩摩藩が大坂城の修築工事に従事した際、工事監督や関係者が滞在した役館(宿舎兼指揮所)の跡とされている
薩摩藩が遠隔地から動員され、大規模な土木工事に関与したことを示す貴重な史跡として知られている
大巻薩摩工事役館跡は現在では明確な建造物が残存しておらず、主に発掘調査や文献記録を通じてその存在が確認されている
岐阜県の公式資料によるとこの場所はかつての宿舎や管理施設の基礎部分が推定され、周辺には当時の土木工事に関連する痕跡が散見される
ただし、具体的な遺構は風化や開発により失われている可能性が高く、現在の姿は史跡としての標識や説明板によって示される程度
この地での総奉行が「平田靱負(ひらたゆきえ)」
宝暦治水で薩摩藩士に多くの病死や自害が多く、また費用も莫大となったため、平田靱負は治水完了後のこの地で自害されたと言われている
大巻薩摩工事役館跡は、薩摩藩が大坂城修築に貢献した歴史を伝える遺跡として、岐阜県の文化財に指定されている
現存する遺構は少ないものの、当時の大規模な土木事業や幕府の動員体制を象徴する史跡として、その意義は大きい
今後、さらなる調査や保存活動が進むことで、この場所が持つ歴史的価値がより明確になることを願う
場所は▼ここ
たこ文食堂
その後は海津の激シブ食堂でお昼ごはんを食す▼
食後も堤防道路で北上し、安八ICからばびゅ~んで帰路につく