10年以上前から毎年仲間で出かけた「滋賀廃村群」
機会があれば久々に企画にしてみようと記憶をたどりながらトコトコと出かけた
仮想集合場所の「クレール平田」
原2カップル(夫婦?)が隣に停めたのが微笑ましく写真に収める
牧田川沿いにR365に出て快適に南下
下山交差点からK139(上石津多賀線)をひたすら西進する
ここから西は林道となる
五僧(ごそう)峠
岐阜県と滋賀県の県境でもあるこの地は「島津越え」とも呼ばれる
関ヶ原合戦に敗れた島津義弘の一行が密かにここを通り、甲賀を経て境浦から船で薩摩に帰ったことでも知られる
そして、かつてここには「五僧集落」が存在し炭焼きを主な生業をする10数軒の民家があったのだが、製炭業の需要が少なくなり昭和50年頃に完全な廃村となった
さらに西へ進む
落石の多い道だ
アサハギ林道に入る
おおむねこんな感じの舗装林道
保月(ほうづき)集落
かつては小学校・役場・郵便局などもあり、昭和初期までは宿屋も存在
やはり産業構造の変化と冬季は雪に閉ざされるため昭和51年頃に「冬季無人集落」となった
雪解けで元々の住民が戻ってくるため建物のメンテナンスが行われている事が多い
この集落に存在した「脇ヶ畑小学校」
この場所に昨年オープンしたキャンプ場
遮断ロープのなかに入ることができないので全容は不明だが、ちょっと興味深い
西進は続く
入谷(にゅうだに)集落
林道脇に並ぶ物置として使用されていた建物
ここを左方向へ進めば集落なのだが今回はパス
河内風穴から回り込み北上する
落合(おちあい)集落
霊仙山への登山口にあたり、登山客駐車が年々増えてきた
さらに北上
需要の少ない道なので気分良いほど放置されている
男鬼(おおり)集落
明治の最盛期には30戸約100人が暮らした集落
彦根方面へのアクセスの表街道(この道幅で)なので行き交う人々で賑わった
林業やそれに関わる製炭、養蚕などが盛んであったがどの生業も斜陽となり、昭和46年頃に廃村となる
男鬼町の三叉路
北は米原に抜ける、西は鳥居本に抜ける
少々迷って北上とした
彦根の北から琵琶湖、対岸の高島市まで見渡すことのできる途中の坂道
ズームするとこんな感じ
この後米原ICあたりからR21に接続し、養老SAから名神高速で帰路につく